2011/02/28

e-LabLetter 第51号

やるときはやる●○2011/2/25(Fri)

こんにちは、e-ラボレターです。

この時期、毎年思うことがあります。
なぜ、2月だけ他の月に比べ極端に日数が少ないのだろう……と。
けれど、この極端にずれるリズムが絶妙だなとも思いますが、
みなさんは、いかがでしょうか?
 

【やるときはやる】

1月は、行く。2月は、逃げる。3月は、去る。
といいますが、私にとって今年の2月は、なかなか逃げていかないのです。
(なぜまだ2月がいるのだ……?)という違和感の中、
夜テレビを見ていて、さまざまな暦にまつわる話を耳にしました。

その中で「昔は『うるう月』が存在していた」
という話に興味を持ちました。
4年に一度、2月が29日になる「うるう年」は知っているのですが、
丸っと1カ月増える年があるというのには、びっくりしました。
1年が13カ月になるのです。

明治のはじめ、それまで日本の暦は太陰太陽暦(旧暦)でした。
そのため、毎年11日ほど太陽暦に比べ短くなってしまいます。
それを3年に一度の、うるう月で調整したそうです。

そこまでは(へぇなるほどねぇ)と思っていたのですが、
話は、明治5年。
当時の明治政府は、大変な財政難に陥っていました。
そんなところに、明治6年には「うるう月」がやってきます。
財政難の中、給与を13カ月分も支払わなければなりません。

このとき財政を担当していたのは、大隈重信。
困った彼が行ったひとつが、太陽暦(新暦)の採用でした。
太陽暦の1年は、12カ月です。
翌年に迫った13カ月分の給与の支払いを12カ月分にしてしまったのです。
なんとも荒療治ですよね。

この太陽暦は、明治5年12月2日(西暦1873年12月31日)に採用され、
翌日は、1月1日(西暦1874年1月1日)となりました。
この太陽暦の採用が布告されたのが、11月9日というのですから、
さぞかしドタバタだったのではないでしょうか。
ちなみに、明治5年の12月分の給与もカットされたようです。
ということは、12月2日以降生まれの人は誕生日会もカットですね(涙)。

新暦になっても、給与は支払われ続けたとは思いますが、
役人たちは、狐につままれた気分になったのではないでしょうか。

財政難に対して、この政策に成果があったのかは、
勉強不足なので定かではありません。
しかし、外国との国交が始まったこの新しい時代、
太陽暦の導入は、どこかで行わなければならない、
とても大切なことだったのだと思います。
それをこのタイミングで一緒におこなってしまった大隈重信は、
やはり大物としかいいようがありません。

今の日本で、こんな断行を行ったら世間は大わらわですよね。
こんなことができてしまう明治の人たちの強さというか、
度胸のすわりっぷりには、関心させられます。

なにかにつけ既成概念にとらわれることはありますが、
何か大切なことを成し遂げなければならないとき、
常識の範囲内で行っていては、成し遂げられるものも、
成し得なくなってしまうのかもしれませんね。

ところでなぜ、2月は28日なのかですが、
ローマ時代、年の始まりは農耕の始まる3月になっていて、
年の終わりの2月は調整されて28日となっているのだそうです。(W.)
 

───────────────────────  From Staff >>>...ki3e
【春は着実に近づいていますね】

先週の土曜日、岡崎公園に行ってきました。
その日は、とても穏やかな日で岡崎公園内にある龍城神社では、
婚礼が執り行われており、ご夫婦の仲睦まじい様子が印象に残っています。

公園内を散策していると、立派な梅の木が。
青く伸びた芽が青空に向かって眩しく光り、
少し目をおろすと、きれいな花が咲いていました。
その姿は大変美しく、きっと梅の木の手入れが、
行き届いているからこその姿なのだろうと感心しました。

明けて月曜日。
出勤の途中で、会社の近くを流れている乙川に差し掛かると、
川沿いに植えられている河津桜に、
ピンク色の花がちらほらと咲き始めていました。

立て続けにほんわかする風景に遭遇し、
春めいてきたなぁと。ぽそりと心の中で思いました。
 

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